THE LORD OF THE RINGS:THE RETURN OF THE KING
第一回観賞:2004年2月20日(21.05.2004記)
感動した…。
でも、この時の感動は「良い映画を観た」というものよりも、「ああ。とうとう終わったんだな」というような感慨に近い。ここのところ、ハマりかけのため冷静な見方ができていない。

前二作に比べ、一番上映時間が長いはずだが、重要なシーンがぎゅむっと詰まっていて、息もつかない(でも、そうせざるを得なかった。何故ってTTTの時点で遅れに遅れていたから)。こんなに長いのに、長いと感じない、それだけでも、良い映画と言っても良いと思う。

【若菜的HIT】
*烽火のシーン恰好良かった。NZの自然パワー全開!音楽もぴったりでした☆ただ、デネソール候にしてもらいたかった…。
  Beaconを見た馳夫さんもGOOD!ヴィゴ、足長いね!

*ホビッツとおじいちゃん(ガンダルフ+セオデン王)が格好いい映画。
●ホビッツ
メリピピが、可愛かった。。。特にピピンにめろめろ(死語)です…!どう考えてもビリー・ボイドよりもドミニクのほうがタイプな筈なのに…。
「すぐ会えるだろ?」「さあね(ここの訳「I don't know」なんだからそのまま「わからないよ」の方がいいです。メリーが冷たいみたいに聞こえる)」ピピンを見送るメリー。そのメリーを追う馳夫さん。馳夫さんの株があがりました…。
メリーの「Welcome,my lords,to Isengard!」は健在。このセリフ大好き☆
「For Frodo」この台詞自体は指輪物語っぽくないけど、駆け出すホビッツは指輪物語。いざとなったときのホビットホビットだよ〜

●セオデン
エオメルも格好いいけど、セオデンのほうが格好いい。…エオメルもカッコいいけどね…。
「今日は剣の日ぞ」
ところで、「ゴンドールは助けてくれなかったのに?」とか言ってたセオデン王に何が?あんな風に皆の前でアラゴルンに「The beacons of Minas Tirith!」とか叫ばれちゃったからですか(笑)??
もっとメリーと交流深めて欲しかったなあ。

●ガンダルフ
ガンダルフ…。今回も大活躍。ミナスティリス行き、格好良かった〜!pity全開。ローハンでの宴会で踊るメリピピを見る顔。ナズグルを撃退するときのもピピン連れ。子連れ狼。
でもピピンがデネソール候に召抱えを申し出ているときに「Get up!」はヒドイなあ。原作ではあのあと<一つの王国全土を笑いでみたすにたる大きな喜び>をみせてくれるのに(怒)

結論
→ホビッツ(特にホビットらしさが残されているメリアドクくんとペレグリン殿)が好き。
そして、ホビットに優しい方々を愛してしまう傾向が見られます。


こんなの映画の感想じゃない、と自覚しながら一回目鑑賞。
「感慨深い」なんてのは思い入れでしかない。では、思い入れのない人が映画を観たら?
原作を読んだことがない人。読んだことがなくても「指輪物語はファンタジーの代表作」ということを知っているだけでも、全然ちがうはず。映画化されて大分、有名になったけれど、知らない人だってまだまだいる。

基本的に映画を劇場で一回だけ観る人にとっては、それなりに(そのときは)おもしろいと感じるだろうと思う。
映像に呑まれる。ただ、1・2作目を観たことがない人にとっては??

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今にして思えば、デネソール候とか、モルドール組とか「え!?」って思うようなところはたくさんあった。
しかし、この時点では盲目というか、あえて見ないようにしていたと思う。そんな一回目観賞。
第ニ回観賞:2004年3月6日(22.05.2004記)
TTTを観にいった友人と一緒に観賞。私がここまでハマっていることは知りません。

ホビットにLOVE度はかわりません。

【なぜ冒頭にスメアゴル時代が出てきたのか?】
私はピピンが大好きです。やんちゃでドジでそれでいて、いざというときにはがんばれる、そんな彼が大好きです。しかし好奇心の強さ故、毎回毎回しでかしてくれます。RtoKでやってくれるのはパランティア覗き見事件。物語を一気にすすめる要となる事件。
映画では冒頭にスメアゴルが何故指輪を持つことになったのかが流れます。その後がアイゼンガルド。そしてローハン。
ピピンはひとつ間違えば、ゴクリのようになっていた。そう考えてしまいました。
ピピンには、止めてくれるメリーがいた。パランティアを取り除いてくれるアラゴルンが、親身になってきいてくれるレゴラス・ギムリ、そして痛みをとりのぞいてくれるガンダルフがいた。ゴクリにはいなかった。
正直にいって、PJがそういうことを考えてこの編集にしたとは、考えにくい。偶然の産物だろうと思うが、恐ろしい。

【執政家の名誉】
執政家の名誉はかくも落とされたり。
デネソール候は、息子ファラミアに死がせまるまでは、執政として政治を行っていたはずです。いくらなんでも酷い!しかもガン爺に杖でたたかれたり馬で蹴られたり(死ぬって!!)。
ゴンドールでおかしいと思ったのは、もう一つ。普通の民が戦闘状態になるまで、残っていすぎ。
ボロミアは言ってますね。「いつも我が民は危険と戦っている」というようなことを。そう、じゃあ何故避難しないの?原作ではちゃんとしてます。当然。原作と映画の違いというよりも、おかしい。悲壮感をだしたかったのか?しかしこれでは、執政家のダメぶりを出すだけになってしまう。TTTのヘルム峡谷での戦いのときはわかります。逃げる暇なんてなかった。それと同じことをゴンドールで?ちゃんと時と場所というものを考えてくださいヨ。
おなじ手法をとればいいってものじゃない。
第三回観賞:2004年3月27日(22.05.2004記)
FtoRを観にいった友人と。
今回気になったところは私にとって、本当はとてもとても重要なところです。
【フロド&ゴクリ&サムの関係】
●ゴクリ
ゴクリが狡猾すぎる、それは1回目に観たときから感じていたことでした。
池?に映して二重人格を演じたあとフロドに手をとられながらニヤリとするゴクリ。サムにレンバスをかけ、そのくせ「こそこそ」に反論するゴクリ。何かが違うと思わずにいられない。こそこそやはゴクリの良心がのぞく最後のところです。そこでのセリフをサムを落としいれようとしながら言っても、観客は何も思わないばかりか、むしろゴクリに対して嫌悪を抱くでしょう。セリフが同じなら言いというわけじゃない。どこでどのような状況でつかうかで全く違う。
●フロド
フロドがダメージをくらいすぎています。フロドはサムが「ともかく旦那が好きなんだ」というだけの人格者であるはずです。モルドールに入ってからのフロドはガンダルフにも負けないくらいのPityの持ち主になっているはずです。ところが、それが書かれるのが薄い。まるでゴクリに騙されているようにしか思えない。→ゴクリが狡猾すぎるせい。
●サム
まるで彼が勇者のようですね(すいません、サム好きになれないんで毒…)。TTTから彼は変でした。なんというか、ホビットらしくないです。原作の彼も好きじゃないんですが、映画のサムはむしろ嫌い…。フロドの旦那度が薄い分よけいにサムワイズ殿がハナについてしまいます。そしてゴクリが嫌なやつであるため、彼のその部分が正当化されてしまいます。


ピーター・ジャクソン監督はこれを「LOVE」な物語だといっているようですが、私の解釈では指輪物語の核は「PITY」だと思っています。ガンダルフしか持っていなかったPITYが旅を通して指輪の苦痛とともに、フロドそしてサムへと受け継がれていく話だと思っています。そう考えたとき、私はこれを指輪物語だと思いたくありません。一番重要な部分が伝わらないわけですから。

【白のガンダルフの憔悴】
今回印象的だったのはファラミアがオスギリアスに再度出兵になったのを見送ったあとのガンダルフの姿です。2回目観賞のときに頭の片隅に残っていました。
誰もいないところに腰をおろしているガンダルフ。その姿は疲れ、途方にくれているように見えます。「ああ・オロリンもこういうときがあるのね…。」
その後につづき、黒門への出兵を議論するときの「フロドは私が行かせた:I’ve send him to his death」発言。
その後もガンダルフが気になってしまいました。フロドとの再会。戴冠式。そして灰色港での別れ。特に、世界をずっとずっと護ってきたガンダルフが旅立つという意味について考えてしまいました。どんな感慨をもって去っていったのか。どんな意味をもつ微笑みなのか。想像を絶するほどの想いなんだ、としかわかりません。

イアン・マッケランは「賢者」を演じるにふさわしい俳優だったと思います。彼がでてくると画面もしまります。本当の実力というものをみせつけられました。
三回目と四回目の狭間に考えていたこと。
この間、一ヶ月近く観ていません。最後の観賞をするかどうかも迷っていました。
それは上記したように、指輪物語の本質、と感じているところがPJとあまりにもかけ離れているから。
ほかにも考えいていたことがあります。

【RtoKのなかでのことば】
映画では度々、原作のセリフが使われる。
しかし、ただ使えばいいというわけじゃない。ことばというのは、どのようなときに使われるかによって全然意味が違ってくる。
なぜガンダルフは、ピピンに死後の世界を語るときに、西方の話をしたのか。フロドにするならわかる。しかしピピンはそこへは行かれないのではないのか?
ゴクリの「こそこそや逆ギレ」
なんだか、言葉が生きてない。
実は、アラゴルンの黒門の前での「but is not this day!」(だが今日ではない!!)の件。そして続く「For Frodo」悪くはない。ただ、指輪物語らしくないのだ。
セオデン王の格調高い「A sword day...a red day...and the sun rises!」に比べて劣る。
トールキン教授のことばと脚本陣が考えたことばが違うことがわかってしまう。
前作までにはそんなに感じなかったことだ。

特撮の質はFtoRから格段によくなってきている。しかし逆に、脚本が落ちているように思う。ことば遊びになってしまっている。残念なこと。

【SEE待ち、について】
それから気になるのは、SEEの存在。最初は「CEでは満足できない原作ファンの為に」という感じがした。しかし、TTT、RtoKと進んでくるにつれ、「SEEにいれればいいか」って姿勢になってきているように感じます。もともと編集が下手だと感じるPJ。確かにSEEに入っていれば、私たちは喜ぶだろう。
でも、その姿勢は映画監督として間違っている。本来映画は映画館で見る。そこで上映されるものが一番BESTでなければならない。そのことを忘れているのではないですか?

第四回観賞:2004年5月21日(21.05.2004記)
これで見納め、と思い観にいきました。初めてRtokを観た映画館の最終日最終上映です。
RtoKの一番最初で作ったTOHOのシネマカードがポイントがたまったので只で見ました。そしてプレミアスクリーン初。
【フロドに初めて感情移入しました】
「I have to destroy It, for both our sakes」(指輪を葬らなければないない、2人の為にも):くねくねトンネルを抜けてゴクリに。
「NO,sam...I can't recall the taste of food...」(食べ物の味など思い出せない…)
「I can see the Shire...」(ホビット庄が見える…):指輪棄却後の一切合財シーン。

そして目覚めたときの「Gandarf !?」という笑顔。
ここはガンダルフの笑顔も最高でした。<一つの王国全土を笑いでみたすにたる大きな喜び>という言葉を思い出しました。
灰色港での別れ…。

私はどこも泣きました。
…しかし、指輪棄却が終わりサムとの2人の会話。フロドさまが正気に戻り「ホビット庄がみえる…」と仰っているのにロージーのことなんて話だしたサム!!許せん!!感動が薄れました。ホントに。
旦那度が低い低いと感じていたフロドでしたが、イライジャ・ウッドは悪くない。
灰色港での最後の笑顔、かわいくそして正にフロドでした。それに応えるために、微笑もうとするメリーとピピンも良かった。。。

ピピンとメリー、そしてガンダルフ、エオルの家の子に注目してしまうのは、3回目までと同じ。
はじめて指輪物語の主人公である彼に感動できたことは、とても幸せなことでした。

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